良い知らせと悪い知らせがある

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本当に良い映画も、良くない映画もレビューします。

人はあまりにも美しいものを観ると涙する。ディズニー実写版『シンデレラ』考。

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筆者の厳選記事5選

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photo by ume-y

ディズニーの実写版『シンデレラ』(2015)は、筆者が選ぶ「もっとも感動する映画」だ。

『シンデレラ』と聞いて、子ども向け、女性向けと思われる方もいらっしゃるだろう。あるいは、デートムービだと。もちろん、その評価は間違いではない。だが、当時31歳だった筆者は、劇場で『シンデレラ』を観て、嗚咽が漏れるほど泣いてしまった。この記事を書いている瞬間だって、劇中の曲が脳内で再生され、ちょっと涙ぐんでしまう。

その経験もあって、「あなたが一番泣いた映画は?」と問われたとしたら、筆者は迷わずこの作品を挙げる。

なぜこの作品が感動するのかというと、タイトルにあるとおり、「あまりにも美しい」からである。映画的な完成度が非常に高いからである。人はあまりにも美しいものを観ると、なすすべもなく涙する。その体験ができるのが実写版『シンデレラ』だ。

 

開始5秒で涙腺が刺激される

ディズニー映画ではおなじみのシンデレラ城のオープニング。もう曲を聴いただけで目頭が熱くなるほど筆者は調教されてしまっているが、『シンデレラ』ではこのシンデレラ城のオープニングにしかけがある。

通常のディズニーのオープニングは、夜空に花火があがり「Disney」の文字が表示されたあと、カットが切り替わる。

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『シンデレラ』では、背景の夜空が昼間の青空にかわり、2羽の青い鳥が画面のこちら側に向かって飛んでくる。カメラが上空に舞い上がる2羽の鳥を追いかけたかと思うと、今度はカメラが空から地上へ、上から下へと移動すると…草原のなかで赤ん坊のシンデレラを愛でる両親が映しだされる。

他のディズニー作品とは異なる『シンデレラ』独自の演出。この時点で筆者の涙腺はすでに崩壊している。あまりにも素晴らしすぎるオープニングだ。

ピクサー作品も含めて数々のディズニー作品を観てきたが、『シンデレラ』のオープニングを超えるものはない。

 

涙腺殺しの音楽と美しい魔法

開始から2:20が経過するとそれはやってくる。商人の父親が航海から我が家へ帰ってくるシーンの曲”A Golden Childhood”。これがまた涙を誘う。まだ継母がやってくる前の、幼いエラ(後のシンデレラ)の幸せ絶頂の瞬間である。このあと、シンデレラが迎える悲運を思えば、涙なしには観られない。

さらに、畳みかけるように母親が歌う”Lavender's Blue”(サントラ未収録、邦題:ラベンダーは青い)。物語のキーとなる曲だ。エラを寝かしつけたあと、病弱な母親が具合悪そうに咳き込むのがまた、幸せ絶頂の家族に忍び寄る悲しみを思わせる。

『シンデレラ』はとにかく、涙腺殺しのBGMがこれでもかとばかりに美しい旋律を叩き込んでくる。エラが幸せなときも、辛く厳しいときも、絶え間なく美しい音楽が流れ込んでくるため、曲の間じゅう、常に涙腺はキャパシティの限界を超える。

極めつけは物語の中盤、フェアリー・ゴッドマザーと出会ったシンデレラが、魔法のドレスを身にまとうシーン。”You shall go”という曲が良いのは言うまでもなく、CGで描れた魔法のエフェクトがあまりにも美しい。これは『シンデレラ』全編をとおして白眉といえるシーンだろう。

音楽について詳しくはわからないが、魔法のドレスのシーンでは、それまでの曲調がガラっとかわり、おそごかで壮麗な雰囲気になる。これが抜群の催涙効果をもたらす。

筆者自身、とくべつ「泣かせにくる」シーンではないものの、毎度のごとくここで「うっ うっ…」と声が漏れるほど号泣してしまう。

まさに、人は圧倒的に美しいものを目のあたりにすると、なすすべもなく涙を流すのだ。

大事なはずの母のドレスが、「ちょっぴり」どころかずいぶん変わってしまうのをツッコむのは無粋というものだ。ここは素直に心を乙女にして観るのがいい。

 

舞踏会のシーンこそクライマックス

続けて、舞踏会に遅れたやってきたシンデレラが、会場に姿を現すシーンもいい。ここで流れる”Who Is She”という曲がまた涙腺キラー曲なのである。

何より、それまで継母達によって虐げられていたシンデレラに、観客のすべては感情移入してしまっている。その彼女がもっとも華やぐシーン。いわば一発逆転的のシーンである。

親のような目線で観ていた観客は心のなかでガッツポーズするとともに、一世一代の晴れ舞台に立つ美しい我が子の姿に涙する。

その直前のトカゲ従者の台詞がまたいい。

城に到着したエラは「不安だわ 私は王女じゃないし」と弱気になる。エラ自身は王子に選ばれるような身分ではなく、実際は魔法によって見栄えがよくなっただけの娘である。そのエラに対し、トカゲが変身した従者は、こう背中を押す。

"And I'm Only A Lizard, Not A Footman."

「僕もただのトカゲです 楽しんで下さい」

実は、ラストにつながる重要なテーマ「ありのままの自分」というのを示唆した素晴らしい台詞である。

トカゲ従者に励まされたシンデレラは、深呼吸一つ、城の階段を昇る... ところで”Who Is She”のもっとも盛り上がる部分が流れる… ここはもう泣くしかない。

 

エラを救ったのは…

一夜かぎりの魔法が解かれ、もとのみすぼらしい使用人生活に戻るエラ。キット王子(実写版では後を継いで国王になっている)は舞踏会で出会った王女(シンデレラ)を探すため、彼女が落としたガラスの靴を頼りに国中を駆けずり回る…という、だれもが知る物語の後半部。

後半からラストにかけては、とくに涙腺を刺激するようなシーンもなく、小休憩的に観られる。まあ、常に泣かされていては身がもたないわけで。

とはいえ、継母が舞踏会に現れた王女がエラであることに気づき、エラは屋根裏部屋に幽閉されるという、観ていて辛いシーンが続く。

逆境を乗り越えて、再度シンデレラが逆転してみせるのがラスト。幽閉されていた屋根裏部屋を抜け出し、見事ガラスの靴を履いて、舞踏会に現れた王女が自分自身であることを証明するシーンである。

アニメ版では、シンデレラが可愛がっていたネズミたちが、継母から屋根裏部屋の鍵を盗み出し、シンデレラを救うのであるが、実写版はちょっと違う。

実写版でもネズミが活躍するシーンはあるが、最終的にエラを救ったのは、亡くなった母親との思い出の歌、”Lavender is Blue”である。

実写版では、ここのシーンの演出がまことに素晴らしくて、フェアリー・ゴッドマザーの魔法のシーン以上に涙腺を誘う。エラは最終的に魔法の力ではなく、「家族の絆」と「ありのままの自分」で運命を切り開き、本物のシンデレラになったのだ。そりゃ泣くでしょ。

さらに、アニメでは描かれなかった継母との決着をつけ足したのもいい。短いシーンではあるが、継母を演じたケイト・ブランシェットの表情の演技がすばらしい。

 

というわけで、まとめ。

『シンデレラ』は、ディズニー・アニメの実写版の中で最高傑作といえる。

アニメでは描かれなかったディテールの解釈が、「愛と勇気」というテーマからブレず、全編とおして貫かれていてじつに見事だ。

ディズニー作品であること、「シンデレラ」という物語であることで、敬遠される方も多いだろうが、筆者は「騙されたと思って」鑑賞することを強くおすすめする。

子ども向け、乙女向け、「泣ける映画」とカテゴライズするには、もったいないほどの傑作だから。

2017年にはエマ・ワトソン主演の実写版『美女と野獣』の公開も控えている。こちらも大人気のアニメの実写化映画。期待して待つことにしたいと思う。