良い知らせと悪い知らせがある

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本当に良い映画も、良くない映画もレビューします。

興行収入300億円超、ジブリ映画『千と千尋の神隠し』は傑作か駄作か。

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筆者の厳選記事5選

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こんにちは、もとむらはじめ(@motomurahajime)です。


今週の金曜ロードSHOW!は、先週から続く「3週連続 冬もジブリ」の2週め。20日は『千と千尋の神隠し』が放送予定となっています。

kinro.jointv.jp

昨年の『君の名は。』のヒットや「スタジオジブリ総選挙」で、ふたたび注目されている『千と千尋』。米アカデミー賞、ベルリン国際映画祭など海外でも絶賛され、いまだに国内歴代興行収入第1位の304億円という記録は破られていません。まさに国民的アニメ映画のひとつですね。


今回は、今さら感たっぷりではありますが、僕なりに『千と千尋の神隠し』の考察、レビュー記事をお届けします。

はじめに申し上げておきますと、僕がマトモに『千と千尋』を観たのは、今から5年ほど前。それまでにも地上波の放送でたびたび見かけることはありましたが、全編とおして観たのはホントについ最近なのであります。

だいぶ大人になって観たこともあって特別な思い入れがないため、そのぶん非常にフラットなもの言いができるんじゃないかなあとは思っています。

それでは、まいりましょう。

 

『千と千尋の神隠し』の感想

「一番好きなジブリ映画は?」というのは、大多数の日本国民の「会話のネタ」。僕のジブリ最高傑作かつ一番好きな作品は『もののけ姫』であります。

 

 

『もののけ姫』は、はじめて親ではなく友だちと映画館で観た映画という思い出補正もあったりするんですが、それを差し引いても、エンターテイメント性と宮崎駿監督の作家性を両立させた、稀有な名作だと思っています。

 

そんな僕が畏れ多くも『千と千尋の神隠し』の感想を。


全体の感想を述べるとすれば、よくネット上でも批判される世界設定のごちゃ混ぜぶりや、わかりづらさはたしかに感じました。『もののけ姫』以前の作品の「贅肉を削ぎ落とすだけ削ぎ落とした、1カットたりとも無駄のない」仕事ぶりが、『千と千尋』では少しグレードダウンしていたのも残念。エンガチョのくだりのクドさはさすがにくどいでしょ。

さらに、物語のクライマックスとしてもっとも大事なはずの「千尋がハクの本当の名前を思い出すシーン」。どうしても取ってつけた感があった。「あれ?どっかで千尋が川で溺れたって話、出てきたっけ?」と思って見直しても、やっぱりそこについての言及はなくて。物語の中盤、千尋がはじめてハク龍の背に乗ったシーンでふと「水中の描写」が出てきただけでしたからね。

序盤、千尋がクルマに乗っているシーンでお母さんから「あんたはむかし川に溺れて...」みたいな、ちょっとした伏線くらいは用意してほしかったなあと思った次第です。すごく良いシーンのはずなのに、説明不足でインパクトに欠けたのは残念。

 

『千と千尋』の好きなところを挙げるとすると、千尋がハクからもらったおにぎりを泣きながら食べるシーンとかいいですよね。ジブリ映画には美味しそうな料理がたくさん出てきますが、料理そのものよりも、我慢していた感情を爆発させておにぎりをほおばる千尋の姿に目頭が熱くなってしまいました。リンさんと肉まん?を一緒に食べるシーンも大好き。

考えてみれば、千と千尋の神隠しでごはんを食べているシーンで感動するのって、この2つだけじゃないかな、と。それ以外だと千尋の両親がタダ食いするシーンと、これまたカオナシが料理を爆食いするシーン。その二つは「美味しそうな料理だけど、食事をしている姿に心が動かされない」。その反面、ごちそうではないけど、おにぎりと肉まんのシーンが輝いて観えるし、素直に感動するシーンでした。

指摘したクライマックスの説明不足だとか、無駄なカットなど惜しいと思う部分もありつつ、あんなに難解でわけのわからない作品ですが、僕は間違いなく傑作アニメ映画だと思います。今回の記事タイトルで『千と千尋の神隠し』は傑作か駄作か、なんて偉そうなこと書いてますけど、少なくとも駄作ではない。

 

『千と千尋の神隠し』は未成年売春を描いているのか

ご存じの方も多いかと思われますが、『千と千尋』は公開当時から幾度も「未成年売春を描いた作品である」という論争がネット上で交わされてきました。肯定派の代表格?としては、映画評論家の町山智浩さんが、こんな記事を書かれています。

d.hatena.ne.jp


町山さんの重要な発言内容を引用してみます。

主人公は「湯女」として働かされるのだが、国語辞典でも百科事典でも何でもいい。「湯女」という言葉を引いて欲しい。

昔から風俗においては初潮前の少女は見習い(半玉という)として下働きをさせられる。千尋の場合はまだ、その段階だ。

『千と千尋』ほど数多くの映画評や新聞記事で取り上げられた映画はなかった。なにしろ「国民的大ヒット」だから。 

ところが何一つ「なぜ湯女なのか」ということに触れはしなかった。

日本版『プレミア』の2001年6月21日号での『千と千尋』についてのインタビューで、どうして今回はこういう話にしたのかと質問された監督はこう答えている。

「今の世界として描くには何がいちばんふさわしいかと言えば、それは風俗産業だと思うんですよ。日本はすべて風俗産業みたいな社会になってるじゃないですか」

 以下、宮崎監督はえんえんと日本の性風俗について語るのだが、要約すると、『千と千尋』は、現代の少女をとりまく現実をアニメで象徴させようとしたので、性風俗産業の話になった、と監督は言っている。

風俗産業で働く少女を主人公にするというアイデアを出したのは鈴木敏夫プロデューサーで、「人とちゃんと挨拶ができないような女の子がキャバクラで働くことで、心を開く訓練になることがあるそうですよ」というようなことを宮崎監督に話したら、「それだ!」とアニメの発想がひらめいたそうだ。

こちらの動画でも同様のことをおっしゃっています。宮﨑駿監督作品を総括する非常に濃い内容の動画ですので、是非ご覧になってみてください。

www.youtube.com


宮﨑駿監督自身が「風俗産業について書いた!」ときっぱり発言されているわけではないものの、「いちばんふさわしい」とおしゃっているのもあって、僕は「『千と千尋の神隠し』は未成年売春を描いている」説を支持する立場です。

実際に作品のなかにもそれらしい描写があって。

 

油屋の女の装束が白拍子のものと同じ。

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町山さんの動画のなかでも語られていますが、白拍子というのは歴史上存在した女性の職業。Wikipediaを引用しますと

このうち、巫女が布教の行脚中において舞を披露していく中で、次第に芸能を主としていく遊女へと転化していき、そのうちに遊女が巫以来の伝統の影響を受けて男装し、男舞に長けた者を一般に白拍子とも言うようになった。(Wikipedia)

白拍子は神様に仕える巫女兼遊女であり、Wikipediaの画像と先ほど挙げた油屋の女の装束がまったく同じですね。それと、これもよく指摘される場面ではありますが、油屋の玄関のついたてには、はっきりと「回春」と書かれています。

 

あからさまに「回春」と書かれたついたて

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売春や風俗産業が舞台だからと言って、僕は『千と千尋』が国民的アニメの皮を被ったいかがわしい作品だとか、宮﨑駿監督のマスターベーション映画だとかと腐したいわけではありません。僕自身も、5年前にはじめて『千と千尋』を観たときは、そんなことも知らずに「ああ、いい映画だなあ」と思って観てましたし、性風俗の映画だからって評価を覆すこともない。そもそも作家のマスターベーションが許されて、それが国民的大ヒットになるって、作家にしてみればとんでもなく名誉なことではないでしょうか。


宮崎駿監督の風俗産業発言の真意のほどはわかりませんが、僕が監督のお考えを忖度すると、鈴木プロデューサーのお話にもあるように、「少女が大人に一歩近づくために、成長するために必要な、礼儀とか作法とか、労働とは何かということを学ぶ場所として、宮崎駿監督が選んだ舞台が風俗産業だった」ということではないかと。『千と千尋』は千尋が風俗産業という過酷な環境で懸命に働くことで、成長していくお話だと思うんですよね。

 

『君の名は。』批判と『千と千尋の神隠し』批判

このテーマに関しては、ちゃんと調査と分析をしたうえで、記事ひとつ使ってしっかりと書きたいのですが、今回はさわりだけ。


国民的大ヒットを飛ばす作品でありながら、数多くの批判にさらされる宿命にある『君の名は。』と『千と千尋の神隠し』。

新海誠監督の『君の名は。』は、その国民的大ヒットを受けて、映画監督や評論家の方々から、さまざまな酷評の声も聞こえてきます。こちらのタイプ・あ~るさん(@hitasuraeiga)の記事に批判のまとめがありますので、ぜひご覧になって観てください。

d.hatena.ne.jp

 

絶賛の嵐を受けるのも、批判の嵐を受けるのも、ヒット作の宿命ではありますが、どうも著名な方々の批判の裏側には、「大ヒット映画をありがたがって観ている観客」までも批判しているように見えてしまうのは僕だけでしょうか。

僕は『君の名は。』が大好きだし、高く評価しているところもあって、『君の名は。』批判ムーブメントには、何かしら「批判することで批判をする人間が是とされる空気」が漂っているような気がするんですよねえ。そもそも作品に関係ない作家の人間性の批判までするのはどうかと思うし。


それはさておき。

 

2001年に公開された『千と千尋』も、興行収入300億を超える超大作、国民的アニメ映画だったわけですが、当時の批判はどうだったんでしょう。ちょっと調べて出てきたのが、ダウンタウンの松本さんが以前ラジオで語っておられた『千と千尋』評。

youtu.be

 

一部引用してみます。

俺はずっと言うてたん、宮崎駿なんかおもろない、あんなのロリコンやとか言うて、しょうもないしょうもない言うてたやんか。

でもそれはどっかで、認められてるしちゃんとした物を作ってるから、俺一人ぐらいが言うたってエエやろって、ちょっとパンチ放ってもエエやろと思ってたんやけど、俺あれ見て簡単にパンチ入ってもうたっていうか、思ってた以上に何にもなかったんで、逆に「ごめんな…?」って。

…俺おかしいんかな?じゃあ俺頭おかしいんやわ、きっと。"1ミリ"たりともエエと思えへんかったよ俺、ホンマに!

ストーリー性なんて何にもない。カオナシ?寒いな、あんなん。何やねんあれ。
納得でけへんな~。何にも納得でけへんな~。どの人間の立場から見てもちゃんと辻褄が合ってないと俺気持ち悪いのよ。

うーん、新海誠監督も宮崎駿監督も、作品とセットで人間性とか人格まで否定される始末。これもまた宿命なのか。

先に挙げた『君の名は。』。国民的映画と言われるほどヒットした作品でありながら、新海誠監督という、国民全体で見るとまだまだ認知度が高いとはいえない監督が手がけた作品です。

一方の『千と千尋』。公開時点ですでにジブリ作品が「国民的映画ブランド」として、宮崎駿監督が国民のだれもが知る巨匠として、手がけた作品です。

松本さんが「それはどっかで、(宮崎駿監督は世間的に)認められてるしちゃんとした物を作ってるから、俺一人ぐらいが言うたってエエやろって、ちょっとパンチ放ってもエエやろと思ってた」とおっしゃっているように、『君の名は。』はプロ・アマ問わず多方面から批判を受けているが、『千と千尋の神隠し』評は当時どうだったのか。

『君の名は。』批判には「叩いても大多数が支持する」空気があるが、『千と千尋』は(巨匠の作品であり、国民的アニメブランドのジブリ作品だからこそ)「叩くと大多数から支持されないから叩きにくい」空気があったのではないか。

そういった点を調査、分析し、記事にまとめてみようと思っています。いつになるかはわかりませんが...