良い知らせと悪い知らせがある

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本当に良い映画も、良くない映画もレビューします。

うーん、思ったほど感動はなかったなあ。映画『セッション』の感想、レビュー。

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筆者の厳選記事5選

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こんにちは、もとむらはじめ(@motomurahajime)です。

前回の記事では、デイミアン・チャゼル監督の最新作で、アカデミー賞でも多数の賞を受賞した話題作、映画『ラ・ラ・ランド』を鑑賞してきたわけですが...

 

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記事のとおり、まったく本編に集中できず。ちょうど僕の最寄りの映画館である立川シネマシティでは、同じくデイミアン・チャゼル監督の映画『セッション』が公開されているので、そちらを鑑賞して仕切り直ししようと思ったわけです。

とういわけで、今回の記事は映画『セッション』の感想、レビュー記事をお届けします。

ちなみに、僕は音楽に関してはまったくの素人でして。なにひとつ楽器の演奏もできなければジャズにも詳しくない...ということで、高校から吹奏楽部をやっているという、信頼できるパレハ(相棒)を連れて観に行ってきました。

 

映画『セッション』

youtu.be

映画『セッション』公式サイト

【原題】Whiplash

【公開】2014年10月10日/アメリカ

【上映時間】106分

【監督】デイミアン・チャゼル

【脚本】デイミアン・チャゼル

【出演】マイルズ・テラー、J・K・シモンズ

【あらすじ】名門音楽大学に入学したニーマン(マイルズ・テラー)はフレッチャー(J・K・シモンズ)のバンドにスカウトされる。
ここで成功すれば偉大な音楽家になるという野心は叶ったも同然。だが、待ち受けていたのは、天才を生み出すことに取りつかれたフレッチャーの常人には理解できない〈完璧〉を求める狂気のレッスンだった。浴びせられる罵声、仕掛けられる罠…。ニーマンの精神はじりじりと追い詰められていく。恋人、家族、人生さえも投げ打ち、フレッチャーが目指す極みへと這い上がろうともがくニーマン。しかし…。(公式サイト)


映画.comの評価平均点 4.1 点 / 評価:516件

Yahoo!映画の評価平均点 4.17 点 / 評価:4,625件

Filmarksの評価平均点 4.1点

僕の評価は100点中 65点


実は今回が初めての鑑賞です。公開当時、劇場で見逃してからは、DVDなどでも鑑賞する気が起きなくて... それで今になって『ラ・ラ・ランド』公開に合わせて『セッション』もリバイバル上映ということで、観てまいりました。

僕のざっくりとした感想は...

お、思ったより興奮も感動もしなかったぞ... あれだけ絶賛されている映画なのに。

 

吹奏楽部のパレハいわく...

僕が音楽に不勉強すぎるということで、高校から吹奏楽部でサックスをやっていて、今でもときどき社会人吹奏楽サークルで演奏することもあるというパレハ(女性)を連れていきました。

吹奏楽部を経験している彼女いわく...

フレッチャー教授のように、「音楽狂人」すれすれの指導教官はたしかにいる。

いくら教官に凄まれても、あそこまで萎縮はしない。さすがに言い返す。

主人公、さすがに寝坊・遅刻しすぎ。

カーネギーホールであんな演奏して、お客さん完全無視かよ。

といった感想。

彼女の経験から来る感想はもちろん、ラスト9分のカーネギーホールでの一件は同意ですね。

たとえば男女混声のバンドがいたとして、「ボーカルとドラムが実は恋仲」だとするじゃないですか。そんなバンドが大きめなハコの大事なライブで、恋仲の二人が盛り上がっちゃって二人の都合だけで演奏し出したら... ファンは起こりますよね、そりゃ。

ただまあ、音楽のことを知らないド素人の僕としては、ニーマンの過酷な特訓や演奏などにそこまでのファンタジーには感じず、「そういうこともあるんだろうなあ」という、一定のリアルさは感じましたよ。

 

そんななかで、僕がもっとも印象に残ったのが、フレッチャー教授が中盤、ニーマンに話す「危険なのは、上出来(グッジョブ)という言葉だ」という台詞。

これ、カーネギーホールでのライブでフレッチャーから嫌がらせをされ、まったく演奏ができず、逃げ出したニーマンに対して、親父さんが彼を抱きしめて言う台詞と対になってるんですよね。

「GOOD JOB.(お前は頑張った、もう十分だ)」。

その言葉が引き金となった、沈みかけたニーマンの心に火がつき(狂った方向へ振り切り)、フレッチャーとの最後の戦いに挑む...のくだりは、非常に高まるものがありました。それだけに、ラスト9分が惜しいというか、僕好みでないというか、「こんな仕返しの仕方じゃカタルシスがないぜ」というか。

この「ラスト9分」に関して、詳しくは次に書きます。

 

感動のラスト9分...?

『セッション』を鑑賞された方のほとんどが興奮し、感動し、大絶賛したラスト9分。ニーマンvsフレッチャーの師弟対決。

これに異を唱えた方がいらっしゃいます。ジャズミュージシャンの菊地成孔さん。そして、菊池さんの酷評を批判されたのが、映画評論家の町山智浩さん。ふたりの論争は当時ネットやラジオ等で話題になったようです。

matome.naver.jp

どちらの評論も納得行くところがありながら、僕としては菊地成孔さんの『セッション』批判の方に同意するところがあるかな、と。

ふたりの論争で取り沙汰されているのが、(論評の一部ではありますが)ラスト9分の展開。

町山さんは、

「『セッション』を観終わった後、ヤクザ映画を観た後みたいな暴力的な興奮に震えた」

と指摘されています。たしかに、速く、強く叩かれるドラムの音に合わせて、フレッチャー教授の理不尽なハラスメントへの恨みつらみを、有無を言わさず叩き込むニーマンの姿に、ある種のゾクゾクした高揚感をおぼえた...かもしれません。

でも、僕の感情の大多数を占めたのは、菊池さんが指摘されているように、

「やって、やりかえして、演奏がソコソコ上手くいって(ドラムソロはぜんぜんーー映画に蓄積された怨念を祓い清める程にはーー爽快感ありませんでしたし)、生温いまま、あ、形になったから終わり。

という感情でした。ドラムの上手い下手はまったくわかりませんでしたが、爽快感はなかった。「これでいいのか」という戸惑いすら感じました(もしやそれが、監督がこの映画を通して伝えたかった「音楽の間違った使い方」だったのかもしれませんが)。

たとえば彼らの戦いがフリースタイル・ラップのdisり合いなら、納得できたかもしれません。お互いを徹底的にdisり合ったあと、お互いに握手、ハグして健闘を称え合えば、それはそれで素晴らしい映画になったかもしれない。

でも、彼らがやっているのはジャズ。メンバーと指揮者の調和が求められるジャズで、お互いの「私怨」とも言えるような感情をぶつけ合っている。「いやいや、いまライブ中でしょ。お客さん無視かよ」と。

偶然にも菊地成孔さんが批判のなかで引用されていた、新日本プロレス1999年の1.4(イッテンヨン)東京ドーム大会、小川直也vs橋本真也戦を思い出しましたよ。

www.youtube.com

 

プロレスを観に来た観客を騒然とさせる、まったくプロレスになってない殴り合い。それと同じようなことが、『セッション』のラスト9分で起きている。

周りのメンバー、観客がないがいしろになっている状況。ジャズなのに「グルーヴ感」が一切ない。あったのは、音楽を「武器」にした、二人の感情のぶつけ合い。それを9分以上もを見せられても...僕はまったく腑に落ちなかったんですよね。感動も興奮もなく、終始「あんなに大絶賛されている、感動と興奮のラスト9分って、こんなものか」と。

「『セッション』って邦題つけるくらいなら、ちゃんとジャズセッションで勝負せんかいコラ」なんて思ったり。

劇中、まるで私怨をぶつけるための武器のように使われた音楽。菊地成孔さんも批判されてましたが、僕も監督のジャズ、ひいては音楽への愛が感じられず、残念な気持ちでしたよ。『ラ・ラ・ランド』を観た後ならなおさら、そう思いますね。