良い知らせと悪い知らせがある

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本当に良い映画も、良くない映画もレビューします。

片渕須直監督『マイマイ新子と千年の魔法』レビュー。『この世界の片隅に』を観たらこっちも観よう!

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昨日観た『この世界の片隅に』がとても良かったので、同じく片渕須直監督の代表作『マイマイ新子と千年の魔法』を視聴しました。

というわけで今回は、『マイマイ新子と千年の魔法』のレビューをお届けします。

 

「マイマイ新子」のここを観てほしい!

「マイマイ新子」のざっくりとしたあらすじはこちら。

映画「マイマイ新子と千年の魔法」公式サイト

小学3年生の新子は、山口県の片田舎に住む普通の女の子。友だちや家族に囲まれ、この町にあった平安時代の地方の国の都「国衙」について空想することが好きだった。そんなある日、東京から貴伊子という生徒が転校してくる。貴伊子が気になった新子は、次第に親しくなっていくが……。

ぼくは20代前半の数年間を山口県山口市で過ごしていたこともあって、その隣町である防府市が舞台ってだけで非常に親近感をおぼえるんですね。なので、ちょっと得した気分でこの作品を鑑賞することができました。

まあ、観てほしいところというと、昭和30年代の防府市の田園風景を描いた美麗なアニメーとション、そこに住む人々の慎ましやかな暮らし。

「格差社会」なんて最近は聞き慣れましたが、格差といえば昭和30年代だってものすごい格差があったわけで。防府では中流階級であるはずの新子の家と、東京から引っ越してきた貴伊子の住む家、着ている服、家具にいたるまで、ありありとした格差があります。都会からやってきた転校生の貴伊子は当然、クラス中のみんなから好奇な目で見られるわけですね。

これまた『この世界の片隅に』のレビューでも書いたんですが、こういう時代考証というか、再現度というか、片淵監督作品は本当に抜群のリアル感があります。そういう緻密なディテールを、ぜひ味わってほしいですね。

 

「マイマイ新子」と「この世界の片隅に」の共通点とは

「マイマイ新子」のお話は山口県防府市を舞台に、昭和30年の防府市に暮らす新子たちのお話と、平安時代中期ごろの周防国の国衙(現在の山口県あたり)に住む貴族の女の子のお話の2軸が、同時に進行していきます。

最近のアニメ作品では『君の名は。』で、主人公の瀧くんと三葉の別時間軸のお話が同時に連動しながら進んでいきましたよね。ああいう感じを想像していただけるといいかなと。

その別時間軸のお話をつなぐのが、タイトルにもある「千年の魔法」。といっても、本当に魔法を使うのではなく、小学生の新子たちの妄想が、昭和30年の代の防府市と平安時代の国衙をつないでいるわけです。

子どもには、大人になったら見えなくなる「何か」が見えてますもんね。

作中では一貫して、子どもたちの目線をつうじた牧歌的な田舎の生活が描かれます。昭和30年代の一般家庭の暮らしだったり、田んぼで遊ぶ子どもたちの姿だったり。いつの時代かの生活風景を淡々と描くのは、『この世界の片隅に』でも同じでしたね。

一方の平安時代シークエンスでも、貴族の女の子の目線をつうじて、窮屈な殿上人の生活だったり、市井に生きる人々のつつましい生活だったりが描かれます。

そういった何気ない、昭和30年代と平安時代の日常に溶け込んでくるのが、「死」の影。

ぼくの親世代の話を聞くに、戦後10年が経過した昭和30年代の一般家庭であっても、まだまだ医療が行き届いていないところがあったようです。たとえば、どこの家庭でもきょうだいのひとりやふたりが生まれて間もなく死んでしまったり、現代のような核家族化もすすんでいないため、祖母や祖父の死を目の当たりにしたり。もちろん、動物の死にも日ごろから直面していた。昭和30年代というのは、そういった日常的にだれかの死に触れていた時代なんですね。

このあたりは、戦争が舞台だった『この世界の片隅に』で同じように描かれていて、だれかの死を受け入れながら、それでも強く生きていこうとする人々の姿が描かれています。

 

2つの作品が投げかけるメッセージとは

ぼくが片渕須直監督の作品を観たのは、『この世界の片隅に』に続いてこれで2作めということもあって、監督の作風とかを深く理解しているわけじゃないんですけど、「マイマイ新子」と立て続けに観て思ったのが、「時代背景や登場人物が違っても、貫かれているのは同じだな」です。

『マイマイ新子と千年の魔法』と『この世界の片隅に』のどちらも観終わってみて、じつはこの2作品が、平安時代、戦時中、戦後…それぞれ時代が違っていても、普遍的なテーマを扱っていることに気付かされます。

戦争だったり、社会の闇だったり、形を変えた絶望を抱えながら生きている人々がいて、ときには死という絶対的な「終わり」を目の当たりにすることもある。当たり前のように存在していた人がいないという苦しみ。それでも、生きていれば必ず「陽はまた昇る」。それはひとことで言えば「希望」です。

つまり、「肉体が死んだとしても、記憶と希望は死なない」ということ。

記憶はときに残された人々を苦しめることがあっても、絶望に打ちひしがれて生きていくのが辛くても、そのかたわらには、必ず寄り添うようにして希望がある。

いつかの時代の特別なことではなくて、いつの時代でも、どの場所でも、普遍的なことなんですよね

 

というわけで、まとめ。

『この世界の片隅に』のヒットで、『マイマイ新子と千年の魔法』は改めて注目される作品になるでしょうね。映画ブログを運営していながら、片渕須直監督作品をまだ2つしか観ていないのが恥ずかしい限りです。

片渕須直監督はこれからもっと活躍の場を広げられることでしょう。細田守、新海誠、そして片渕須直。この3人のアニメ監督の作品には、今後も目が離せませんね。

 

『この世界の片隅に』のレビューはこちらです。

www.motomurahajime.com