良い知らせと悪い知らせがある

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本当に良い映画も、良くない映画もレビューします。

今後100年語り継がれる映画だ。『この世界の片隅に』レビュー

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筆者の厳選記事5選

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立川シネマシティの極上音響上映で観てきました。

この映画を観て味わった感覚をどのようにレビューにしたものか...いや、言葉にすることすらはばかられるような、そんな作品を観てしまいました。

とりあえず、作品のあらすじを載せておきますね。

konosekai.jp

1944年広島。18歳のすずは、顔も見たことのない若者と結婚し、生まれ育った江波から20キロメートル離れた呉へとやって来る。それまで得意な絵を描いてばかりだった彼女は、一転して一家を支える主婦に。創意工夫を凝らしながら食糧難を乗り越え、毎日の食卓を作り出す。やがて戦争は激しくなり、日本海軍の要となっている呉はアメリカ軍によるすさまじい空襲にさらされ、数多くの軍艦が燃え上がり、町並みも破壊されていく。そんな状況でも懸命に生きていくすずだったが、ついに1945年8月を迎える。

うーん、じつにレビューを書くのが難しい…ので、以前こちらの記事で紹介したTBSラジオ「たまむすび」にて、映画評論家の町山智浩さんの解説をよりどころに、ぼくのレビューを書いていこうと思います。

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ちなみに、能年玲奈さんは芸名を「のん」にされていますが、ぼくは芸能関係者でも報道関係者でもないので、敬意を持って能年玲奈さんと呼ばせていただきます。

 

やっぱりテンポがよかった!

「まるで『マッドマックス 怒りのデスロード』のようにパッパと話がすすむ」「すごいスピードで話は進んでいくんだけれど、ゆったりしている」。

まさにこれでした。あっという間に、すずちゃんの子供時代から呉に嫁ぐまでのお話が展開していきます。それなのに、絵の柔らかさと、すずちゃんののんびりとした性格もあって、「ついていけない!」なんてことはありません。とても気持ちのいいテンポで進んでいくんです。

ただ、気持ちのいいテンポと柔らかい絵に身体をゆだるのもいいんですが、意外と?情報量が多い。それは当時の生活のディテールもそうですし、後にすずに関わってくる登場人物にしてもそう。見逃していると、後半「あれっ」と思うところが出てくるかもしれません。

後半の戦争の激化、空襲の激化も、見事なくらいにサクサク進んでいきます。だからこそ、戦争という異物が日常に溶け込んでいく恐ろしさが、台詞で語られるよりも胸にせまってくるその演出としてじつに効いていましたね。

 

やっぱり戦時中の庶民の生活が再現されていた!

「戦争を描いているのに、戦争は怖いという印象を押し付けてこない」

山里さんはこう感想を述べられてました。おっしゃるとおりで、『この世界に片隅に』が、全編にわたって声高に反戦を訴えたり、悲劇を誇張することはありません。

戦時中の市井の人々の生活を描くにあたって、戦後に芽生えたイデオロギーを、どうして当時の人が口にして言うのか。反戦を叫ぶ、それすなわち憲兵に逮捕され、非国民のレッテルを貼られ、マトモに暮らしていけなくなるわけですよ。

そういったことが台詞として出てきた時点で冷めますし、あまりにネガティブな側面を押し出すと、どうしても「当時性」がにじみ出てこなくなって、戦争を知らない現代の観客であるぼくたちと映画との間に、隔たりができてしまいますからね。

その点、『この世界の片隅に』は徹底して日常を描いていました。この映画で描かれる戦争も、テーマではなく、あくまで舞台。空襲にしても、登場人物がオオゴトのように驚いたり、恐怖心を煽るような音楽が流れたりはせず、あくまで日常として切り取られている。日常に戦争という異物が溶け込んでくるわけですからね。だからこそ、忍び寄る戦争の恐ろしさ、終戦によって抑えていた感情の爆発、というのが効いてくる。

「庶民と戦争」ということで言うと、本作では「典型的な帝国軍人」が出てこないかわりに、書記官や技師といった、直接戦闘に参加するわけではないが、戦争と関わりのある人たち、が登場してきます。

そういった人たちから見た戦争というのも、これまで戦争を描いてきた映画では観られなかった新しい視点で、新鮮なものを感じました。

当時の街並みや生活風景だけでなく、ミリタリー描写もリアルかつ緻密ですごいんだとか。

降り注ぐ対空砲の破片やB29のエンジン音、焼夷弾の落下音にしても、日常を描くからこそ、絶対におろそかにしてはいけないポイントなんですよね。だって、当時の人たちからすれば、日常に聞いていた音、聞き慣れた音なわけですから。

さらに、北條家のお父さんが語る戦闘機のディテールだったり、小さな子どもでも軍艦の種類を知っていたり、そういったところにも、戦争とともに生きる人々のリアルさを感じられました。

 

やっぱり主人公のすずちゃんが最高だった!

まず言っておきたいのが、すでにいくつか出ている『この世界の片隅に』のレビューで、すずちゃんの声を担当した、能年玲奈さんの演技を腐す文言が散見されたのが、実に残念でなりません。まあ、この「声優問題」って、ジブリ作品でもよくありますけどね。

じゃあ、能年ちゃん以外にだれが、すずちゃんに生命を吹き込めたのか。能年ちゃんのように「マンガからそのまま飛び出して来たような人」が他にいたか。そう思えるくらい、すずちゃんのキャラクターそのものが、能年玲奈さんそのものだったと思います。

出会うべくして出会った、キャラクターと女優さんですよ。おっとりとした性格もそうだし、おっとりとした性格に隠された、激情的なところもそう。能年ちゃん以外に考えられない。

能年ちゃん叩きのレビューが出てくるのは予想してましたけど、鑑賞中ずっとそんなこと考えてたんだとしたら、相当もったいないと思いますけどね。

さて、そのすずちゃんですが、いや本当によかった。

何と言っても、このお話が向かっていく先は、1945年の8月6日ですから。

まさにこれですよ。あってはならないけど、あってしまった悲劇に、あのかわいらしいすずちゃんが巻き込まれようとしている。スリリングであると同時に、「なんとかならないのか」というもどかしさ。ずっと心臓がバクバクしてましたよ。

戦争の中でも懸命に生きる彼女の姿に心を打たれたからこそ、悲劇に見舞われる彼女のことも、わがことのように胸を痛めました。何度「もうこれ以上すずちゃんを苦しめるのはやめてあげてよ!」と思ったことか。

それでも、この世界の片隅に自分の居場所を見つけて、強く生きようとするすずちゃんの姿に、ぼくは「ありがとう」としか言えないです、ほんとに。

 

ざっくり鑑賞後の感想

言葉にするのが難しいんですけど、ひとことで言うなら、声が出るくらい笑いました。それが最後の最後まで、詰め込んである。「ほら笑えるでしょ!」的な、押しつけの笑いではなくて、日常だからこその笑いがあったんです。

どうしても戦後に生きるぼくたちは、無知ゆえに「戦時中は暗かった」「辛い生活を強制させられていた」なんてイメージを持ちがちですが、70年前でも、戦争中でも、スマホがなくても、パソコンがなくても、電化製品がなくても、同じ人なんですよ。どんなにまずしくて、大変でも、人がいればそこに笑いが生まれるし、反対に悲しみや怒りや嫉妬だって、もちろんある。

『世界の片隅に』はそこを丁寧に描いていたからこそ、単純に「泣けた」とか「感動した」とかでは表せない、鑑賞後の独特な余韻がありました。もちろん、笑ったし、泣いたし、感動もしたんですが、それよりもぼくが強く感じたのは、あの時代の人たちとの「つながり」でした。

というのも、ぼくは一時期、広島市に住んでいたことがあって、呉市にある支店に通勤していた経験があります。それがちょうど新卒のときで、まったく知らない土地に配属され、慣れない営業の仕事に苦い思い出ばかりが残っていたんですが、『世界の片隅に』を観たことで、あの苦い経験が報われた気がして、繋がりができた気がして、なんだかとても嬉しい感じがしたんですよね。

「短い期間とは言え、自分が住んでいた場所に、70年前に生きていた人たちの物語を観ることができた」。

だからこそ、ぼくはこの作品をとおして、70年前の人たちとの「つながり」を感じたんです。

 

というわけで、まとめ。

2016年は邦画の当たり年なんて言われていますが、暮れに迫ったこのタイミングでものすごい作品が公開されたんだな、としみじみ思います。

思えば、東日本大震災を想起させる『シン・ゴジラ』と『君の名は。』が大ヒットし、さきの戦争を生きる人々を描いた『この世界の片隅に』が公開され、ヒット間違いなしと思われる... 

日本人にとって絶対に忘れることのできない出来事を描いた作品が、同じ年に3本も公開され、受け入れられているということに、何か運命的なものすら感じるのはぼくだけでしょうか。

『この世界の片隅に』は間違いなく、今後100年語り継がれる映画になるでしょう。

 

追記:2016年11月13日

片渕須直監督『マイマイ新子と千年の魔法』のレビューを書きました。

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追記:2016年11月15日

主人公・すずの声を担当した能年玲奈(のん)さんについての記事を書きました。

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読み終えた方はこちらへ→映画レビュワー元村元って何者?