4DXを超えた「“GOD”X」を体験せよ。映画『沈黙 サイレンス』の感想、レビュー
こんにちは、もとむらはじめ(@motomurahajime)です。
なかなか忙しくてブログの更新ができていませんが...本日も新作映画を一本観てまいりました。
遠藤周作の『沈黙』を巨匠マーティン・スコセッシ監督が28年温め続け、ついに映画化。日本人のキャストも多いことで話題となっている、映画『沈黙 サイレンス』です。
いつものように立川シネマシティで鑑賞してまりました。わりと年齢高めの観客が多かったんですが、意外と高校生くらいの男の子や、若い女の子どうしの観客もいて、注目度の高さが伺えましたね。
それではさっそく、レビューへとまいりましょう。
映画『沈黙 サイレンス』
【原題】Silence
【公開】2016年12月23日/アメリカ
【上映時間】159分
【監督】マーティン・スコセッシ
【脚本】マーティン・スコセッシ、ジェイ・コックス
【出演】アンドリュー・ガーフィールド、リーアム・ニーソン、アダム・ドライヴァー、窪塚洋介、浅野忠信、イッセー尾形、塚本晋也
【あらすじ】江戸幕府によるキリシタン弾圧が激しさを増していた17世紀。長崎で宣教師のフェレイラ(リーアム・ニーソン)が捕まって棄教したとの知らせを受けた彼の弟子ロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)とガルペ(アダム・ドライヴァー)は、キチジロー(窪塚洋介)の協力で日本に潜入する。その後彼らは、隠れキリシタンと呼ばれる人々と出会い……。(Yahoo!映画)
映画.comの評価平均点 3.8点 / 全105件
Yahoo!映画の評価平均点 4.17点 / 全805件
僕の評価は100点中 80点
原作未読、予告が強調する拷問シーンの凄惨さ、ちょっと鑑賞するには気乗りがしない作品だったのですが、ライムスター宇多丸師匠のラジオ『ウィークエンドシャッフル』の課題映画にも決まりましたので、隙を見て鑑賞してきた次第です。
観た感想をざっくり言うと...
アンドリュー・ガーフィールド(アメイジング・スパイダーマン)が、いつ手首からウェブを発射して役人を磔にするのか。アダム・ドライバー(フォースの覚醒)が、いつ懐から十字のライトセーバーを取り出して役人を蹴散らすのか。そんな妄想に胸を膨らませて鑑賞したら、圧倒的な完成度の高さに何も言えず、ただただ沈黙して見守るしかなかった...ですね。
「十字の」ライトセーバーを振り回すカイロ・レンことアダム・ドライバー
原作未読でも、拷問シーンが苦手でも大丈夫
僕は、たしか高校の国語の教科書でちょっとだけ遠藤周作の『沈黙』を習ったくらいで、キリスト教にまつわる専門用語とか聖書の内容とかも、ほとんどわからない状態。
それでも、鑑賞にまったく支障はないし、むしろ結末を知らないほうが、ハラハラドキドキが味わえるんじゃないかなあと思いましたね。けっこう「この人、最終的にどんな判断をするんだろう」っていうのが映画のキモだったりするので。
もうひとつ、僕が『沈黙 サイレンス』を観るのをためらっていた理由が「凄惨な拷問のシーン」があること。予告はちょっとそこ強調しすぎじゃないかな~なんて思うところもあるんですが、じっさい鑑賞してみて、大げさに考えすぎてた感がありました。
血がいっぱい出るとか、ギリギリとした痛みがこちらにも伝わってくるとか、そんなグロさはなくて、ただただ見守るしかない辛さ。「もうやめたげて!」「信仰なんて捨てて絵踏みすればいいのよ!」なんていう、感情が何度も沸き起こる感じ。あとで詳しく書きますけど、この感情こそ、マーティン・スコセッシ監督の思い描いたとおりの反応なのかも知れませんが...
序盤で拷問にかけられる塚本晋也に真の役者を見た
原作の難解そうなイメージや、大抵の日本人にとっては未知のキリスト教という宗教への理解度、凄惨な拷問シーンなどなど、一見するとハードルの高そうな映画ではありますが、そんなことはないです。ぜひ先入観なしに観てほしい作品。
変な日本が出てこないから安心
これ大事だと思うんですよ。マーティン・スコセッシ監督ほどの巨匠となれば、そんなこともないんでしょうが、日本を舞台にした映画って、どうしても「ヘンテコな日本描写」って出てきますよね。
記憶に新しいところで言うと、『ウルヴァリン: SAMURAI』の東京はまずまずだったけど、長崎?の描写は微妙だったし、『GODZILLA』では雀路羅(じゃんじら)市なんていう架空の街が出てきて、建物なんかは変な造形してたしで...
『GODZILLA』の雀路羅市は街のど真ん中に原発があるという...
こと『沈黙 サイレンス』に関してはそんなものは杞憂です。むしろ、日本映画の日本描写より日本らしいと言えるくらい。一部、長崎出身の僕が「おや?」と思う方言のアクセントがありましたが、気にならない程度。
なにより素晴らしいのが自然の描写ですね。ロケ地はオール台湾だったようですが、長崎出身の僕の目で見ても、長崎の離島の風景にしか見えなかった。
台湾の観光地で知られる石梯坪。こんな風光明媚な場所で凄惨な拷問が繰り広げられる...
さらに、日本人キャストも非常に良かった。なかでも海外の観客からも絶賛されているイッセー尾形さんの演技がとても良い。もうね、気持ち悪いくらいの笑顔で隠れ切支丹(きりしたん)を追い詰めていくわけですよ。宣教師に対しては、「信仰を捨てて棄教せよ」とね。
それがまた、完全な悪人というわけでもなく、頭の切れるおじいちゃんという感じ。彼が語るキリスト教を弾圧する理屈も一利あったりして、登場するたびにどこかホッとするところすらある。もちろん、彼以外の日本人キャストも良い仕事してて、マーティン・スコセッシ監督がいかに日本人キャストを選びに選んだか、大事に使っているか、その一端が垣間見える思いでした。
「神」はどこにいるのか
この作品、もうほぼゼロに近いくらいでBGMがありません。音としてあるのは蝉の鳴き声、したたる雨音、浜に打ち寄せる潮騒...などなど、自然の音がほとんど。その効果もあってか、変な感覚なのかもしれませんが、「映画を観ている感じがしなかった」ですね。まるでその時代にタイムスリップして、ありのままの事実を覗き見ている感じ。
その「ありのままの事実を覗き見」という感覚が重要だと思ってて。
アンドリュー・ガーフィールドが演じる、ポルトガル人の宣教師ロドリゴの視点でお話は進んでいくわけですけど、彼が苦しいとき、悩むときには必ず神に問いかけるわけですよ。
「神よ、ご覧になっていますか」「神よ、なぜ沈黙なさるのですか」というね。
で、鑑賞しているとハッと気づくわけです。もしかして、どこかにいる神というのは、観客の我々でないかと。弾圧される隠れ切支丹に対し、救いの手を差し伸べることも、救いの言葉をかけることもできない、ただただ「沈黙するしかない」無力で儚い観客のわれわれの視点こそ、神の視点を持つ神的存在なのではないかと。
そのマーティン・スコセッシ監督がこの映画に仕掛けた「神的視点」に気づいた瞬間、唸るような感動をおぼえましたね。
まさに映画を肌身で体感できる「4DX」を超えた、神の視点で映画を体感できる「GODX」映画でした。
『沈黙 サイレンス』は沈黙して観よ
本作を観に行く前に、僕の愛聴するラジオ『伊集院光 深夜の馬鹿力』で、『沈黙』をご覧になった伊集院さんがラジオでこんな話をされていまして。まあ、どこかに音声動画が転がっているかもしれませんので、ご興味のある方は探してみてください。
以下、伊集院さんの『沈黙 サイレンス』鑑賞中に置きた珍事件の一部引用。
渋谷で観てて、はじまる寸前くらいに、いかにも渋谷らしいカップルのやつが入ってきたんだけども、そいつが超巨大なキャラメルポップコーンとコーラを2個持って入ってくるんだけど、「そういう映画かな」って、俺のなかで。別に売ってるものだからいいんだけど。俺のなかでもすでに、俺の聞いてる限りは、「巨大なキャラメルポップコーンと巨大なそのコーラをズーコズーコ、モムモムしながらの映画ではたぶんないと思うぞ」、と思うんだけども。
特に女子のほうが、要所要所で「お前よく今キャラメルポップコーン食えんな!」っていうタイミングで食うわけ。
踏み絵をしないと家族を焼くって言われてるようなシーンで、その前の女がキャラメルポップコーンを豪快に食うんだ。あのさ、最近映画ってさ、4Dみたいなやつあるじゃんか。その霧吹き出たりとかニオイ出たりするとこあるじゃんか。4Dの感覚で観たら頭オカシイよ!このシーンにキャラメルポップコーンのすごいニオイするのなんか、ぶっ壊れてるよその映画館って思いながら、「何こいつ」って思いながら
いやあ、これは話のネタになる珍事件というか。僕も『沈黙』を鑑賞して思いましたけど、「こんなときによくモノが食えるな」なんてシーンがあるんですよ。それは拷問のシーンに限らず、登場人物が苦悩するシーンも然りで。どこか、「目をそらすのはこの映画に対して失礼ではないか、固唾を呑んで見守るしかないのではないか」みたいなね、感情が沸き起こってくるんですよ。
でね、僕もじつは伊集院さんと似たような経験をしました。
僕の隣の隣の席でしたね。たぶん中年くらいのオッサンだと思うんですけど、上映が始まったら、ガサガサ音立てて、紙袋を取り出したかと思ったら、なんとマクドナルドのハンバーガー食べ始めよるんですよ。映画館のフードではなく、よそから買ってきたマクドナルドのハンバーガーですよ。もう唖然とするしかない。
先に書いたように、『沈黙』はBGMがほとんど流れない、画と、自然の音と、キャラクターの発する台詞だけで構成されているような、まさに静かな映画なんですよ。静謐と言ってもいいでしょう。それなのに、そのアホがマックの紙袋ガサガサいわせてハンバーガーを取り出し、モシャモシャ食いはじめる始末。たちこめるソースのにおい...おいおい、いい加減にしろよと。
挙句の果てに、上映が終了したら、そのアホの座席の下にはハンバーガーの食いカスと紙袋が、さも当たり前のように置き捨ててある。「せめてゴミは持って帰れよ…」。
長尺ながら、その時間を感じさせない、非常に胸に迫る映画だったのに、こんな体験しちゃったら、もうゲンナリですよ。もし僕と同じ立川シネマシティで、1月25日15:50~の上映に居合わせた人がたまたまこのブログを読んでいらっしゃるのなら、強く共感していただける気がします。
映画の見かたはひとそれぞれだし、上映中の食事が禁止されているわけではないのでとやかく言う権利もないですが、映画って他の観客がいる限りは、ひとりで観るものじゃないんですよ。そこに自分以外の人がいる以上は、最低限のマナー、エチケットは必要。それが出来ない人間に、映画を観る資格はないと思いますよ。ホントね、人格が出ますね、映画館って。
というわけで、まとめ
決して鑑賞後にスカッとする気持ちになるとか、のんびり気楽に構えて観るようなタイプの映画ではありませんし、先ほど伊集院さんのラジオの引用でも書いたように、環境で映画体験が左右される作品です。
個人的には、静かに作品を味わうなら、ひととおり客足が少なくなってから観に行くことをおすすめします。
鑑賞前、鑑賞後に読みたい遠藤周作の原作。