良い知らせと悪い知らせがある

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原作だけじゃない!あなたがまだまだ知らない映画『風の谷のナウシカ』考察

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筆者の厳選記事5選

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今週の金曜から3週にわたって、『金曜ロードSHOW!』では宮崎駿監督(とジブリ)作品が放送されます。その第1弾が、1984年に公開された『風の谷のナウシカ』。今回の放送で3年ぶり17回めの地上波放送となるわけですが、そんなに何度も放送されるのは、ひとえに「ナウシカ」が映画的に完成度が高い傑作だから、ですね。

もう17回も放送されていると、関連書籍のみならずネットでも、いろんなレビュー記事、ネタバレ記事、考察記事があるため、さすがにもう書くこともないかな〜と思ったんですが… 2013年に発売された『ジブリの教科書1 風の谷のナウシカ』を読むにつけ、これまでに語られなかった興味深い制作秘話や世界設定などが書かれており、文字どおり「勉強になった」 ので、今回の記事を書くに至ったわけであります。

 

記事では『ジブリの教科書』の内容をなぞるのではなく、僕なりに「こういう見方をすると、もっと『ナウシカ』って面白くなるんじゃない?」という考察をお届けします。題して、「あなたがまだまだ知らない映画『風の谷のナウシカ』」。それではまいりましょう。

 

 

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オープニングですでに傑作映画が始まる予感

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傑作と評される映画は、開始数分のオープニングからすでに傑作たる要素がつめ込まれているものです。

『ジブリの教科書1 風の谷のナウシカ』で、当時「ナウシカ」の作画監督を務めた小松原一男氏がこんなことを話されています。

特にオープニングなんか音楽とアクションがよくあっていてものすごくさわやかですよね。あれでもう『あっ、映画が始まる!』って感じにさせますよ。導入部っていうのがいかに大事かということですね。

改めて「ナウシカ」のオープニングを観てみると、最初に登場するのは旅姿のユパ様と、トリウマのクイとカイ。腐海に飲み込まれつつある街に到着し、一件の家へ入ると…白骨化した死体。足元の人形を拾い上げると、ボロボロっと崩れ落ちる。

ユパ様の台詞は「また村が一つ死んだ」「行こう ここもじき腐海に沈む」これだけ。

街を去っていくユパ様とトリウマを見送ると、カメラがスライド。腐海に飲み込まれつつある巨大な建造物(ビル?)を写し出され、絶妙のタイミングでオープニング曲「風の伝説」のイントロ。同時に白文字で「巨大産業文明が崩壊してから1000年 錆とセラミック片におおわれた荒れた大地に くさった海…腐海(ふかい)と呼ばれる有毒の瘴気を発する菌類の森がひろがり 衰退した人間の生存をおびやかした」というテキスト。

たった2分にも満たないこのオープニングだけで、「ナウシカ」の世界観である「崩壊後の世界」を提示してみせる、宮崎駿監督の卓越した演出。

 

その後に続くタイトルと、メーヴェに乗って滑空してくるナウシカのシーンまで、アニメーションのタイミングなんかに注意しながら観てみてください。オープニングのお手本のようなオープニングだということがはっきりわかりますよ。

 

タイトルバックは「バイユーのタペストリー」がモチーフ

ユパ様のオープニング後に表示される『風の谷のナウシカ』タイトルと、タイトルバックの印象的な絵。

↓これですね。

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言及しておられる方もいらっしゃいますが、このタイトルバックは「バイユーのタペストリー」をモチーフにされたのだろうと言われています。「バイユーのタペストリー」とは、1066年のノルマン・コンクエスト(ウィリアム1世のイングランド征服)の物語を描いた刺繍絵で、まだ遠近法が確立されていない時代の素朴なデザインをしています。

↓バイユーのタペストリー(横にべらぼうに長い!)

バイユーのタペストリー - Wikipedia

 

宮崎駿監督がバイユーのタペストリーをモチーフにしたという確かな証言はありませんが、デザインの類似性はもちろん、ナウシカの時代設定である「産業文明が滅んで1000年」と、バイユーのタペストリーが描かれた1066年という時代の一致は、けっして無関係ではないでしょう。

というのも、巧みな演出で知られる宮崎駿監督が、単にバイユーのタペストリーが好きだからとか、デザインがカッコいいからという理由で映画の大事なタイトルバックに使うわけもなく、ちゃんと意味のある演出として使うはずだからです。

おそらく、宮崎監督がこの印象的なオープニングで示したかったのは、「ナウシカの生きる、産業文明が滅んで1000年が経った世界の人間は、バイユーのタペストリーが描かれた時代と同レベルの文化水準にしか達していない」ということではないでしょうか。

つまり、一度は栄華を極めた産業文明が消滅し、人類は経済的にも、技術的にも、そして文化的にも、中世のレベルにまで衰退したということです。


もうひとつこの説を裏付ける論として、宮崎駿監督は続く『天空の城ラピュタ』でも、同じような手法でタイトルバックを描いています。

↓「ラピュタ」のオープニングはこちら。

www.dailymotion.com


本編のアニメとは異なるタッチで描かれていますね。どっかで見たことあるデザインだよな〜と思って探していたら、近いものを見つけました。

↓こちら

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オープニングの最初の風の精霊?の部分と似ている。

 

↓フランスのジョン・コンスタブルの「乾草の車」

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↓有名なミレーの「落ち穂拾い」

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イギリスの政治家、セシル・ローズが19世紀末にアフリカの植民地政策を推進する姿を描いた風刺画です。「ラピュタ」の舞台は19世紀後半の産業革命期のヨーロッパを元にした架空世界であるので、セシル・ローズの風刺画と時代的には一致します。

また、19世紀に活躍した風景画家のジョン・コンスタブルの絵なんかにも近いものがありますね。「落ち穂拾い」で有名なバルビゾン派のミレーもモチーフになってるかも?まあ、こじつけに近いですが何らかの意図があってのオープニングであることは確かかと。


というわけでナウシカの話に戻すと、ユパ様が登場するオープニングでは、まさに腐海に飲み込まれていかんとする「ナウシカ」作品の世界観が短いシーンながら実に見事な演出で提示され、さらにタイトルバックのバイユーのタペストリーで、文明崩壊後1000年の世界の経済レベル、技術レベル、文化レベルまで暗示してみせるという徹底ぶり。

この開始5分にも満たない序盤の一連の流れを持ってして、僕は「ナウシカ」が他のSFアニメとは一線を画した名作であること言いたいのであります。

 

「火の七日間」と巨神兵とは何か

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ざっくり言えば「火の七日間」は核戦争のメタファーで、巨神兵は核兵器そのものといえるでしょう。

折しも「ナウシカ」が公開された1984年は米ソ冷戦のまっただ中で、世の中に「核戦争による終末論」が流行していた時期でもあります。ちょうど同じ年の12月に公開された『ゴジラ(1984)』でも、米ソ冷戦末期の国際情勢が作品に反映されていましたから、少なからず「ナウシカ」にも、このような現実世界の反映や、SFアニメをとおして現実へ投げかけたメッセージもあると考えられます。

巨神兵が核兵器のメタファーなら、ゴジラもまた水爆の落とし子。あの有名な巨神兵のプロトンビームの原画を手がけた庵野秀明監督が、2016年に公開した『シン・ゴジラ』のゴジラ、ナウシカの巨神兵をオマージュした(あるいは巨神兵そのもの)存在として描かれたことも興味深いですよね。

「ナウシカ」の巨神兵、’84ゴジラ、そしてシン・ゴジラへとつながる「巨神兵=ゴジラ説」について、次の記事で考察してみたいと思います。

 

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文明崩壊後の技術レベルを知ろう

文明崩壊後の人類の技術レベルを知ることで、より物語世界を深く味わうことができます。例えばこの絵。

↓輸送船バカガラスとトルメキア兵

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近代的なトルメキアの輸送船「バカガラス」が出てきたと思ったら、中から飛び出してきたのは甲冑を身にまとった兵士。このアンバランスさも「ナウシカ」の世界観の魅力のひとつとも言えますが、なぜこのような技術のギャップが生まれたのか。


コミック版の方では「エンジンを創る技術は失われて久しい」「地下に残存している旧世界のエンジンを発掘して利用している」というように説明されています。映画版の冒頭では、ナウシカが王蟲の抜け殻から採取した王蟲の目はガラスに、王蟲の外皮はセラミック(この世界の一般的な金属)よりも硬い素材として、道具や武器に活用されていることを説明口調で語られていますね。

つまり、文明崩壊後の技術水準では、鎧や戦車や航空機の装甲のための金属の加工(併せて、火薬は開発されているので銃火器は量産も可能か)はできても、エンジンの製造は出来ない。剣や甲冑といった前近代的な武器も、「ナウシカ」の時代では十分な武装になる、ということになります。

 

さらに、「ナウシカ」世界では2機の「ガンシップ」が登場します。風の谷のガンシップと、ペジテのガンシップ。

図体がデカイだけでウスノロのバカガラスと違い、高い運動性能を持ち、1機でトルメキアのバカガラスの一団を圧倒するガンシップは、いわば第2次大戦期における零戦。「ナウシカ」世界では強力な兵器として位置づけれられています。コミック版で言及されていますが、このガンシップを所持しているだけで、風の谷はトルメキアという大国と渡り合い、ある程度の地方自治権を行使できる。だからこそ、クシャナは人質としてナウシカ、ガンシップを欲したと考えられますね。

 

アニメ版に登場する航空戦力は以下のとおり。

風の谷

ガンシップ… ナウシカが操縦する2人乗りの戦闘機。

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メーヴェ…ナウシカが操縦するグライダー。

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バージ… 城オジたちが乗る貨物用グライダー。

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トルメキア

コルベット(画像左)…クシャナの搭乗艦。バカガラス船団の護衛にも使われる。

バカガラス(画像右)…トルメキアの大型輸送機。

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ペジテ

ガンシップ…アスベルが乗る1人乗りの戦闘機。

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飛行ガメ…王蟲の幼生を吊るしていた水がめ型の航空機。

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クシャナとナウシカと光と闇

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クシャナとナウシカ、一見すると正反対の登場人物として描かれていますが、よくよく台詞や行動を見ていくと、実は正反対ではなく、紙の裏表みたいに清濁併せ持った、表裏一体となる存在であると言えます。

 

クシャナは巨神兵を復活させ、その強大な力で腐海を焼きつくし、ふたたび大地をよみがえらせるという大義名分を掲げていますね。その大義名分のもとであれば、ペジテを攻略し、風の谷を支配下に置くこともいとわない。

しかし、物語後半、クシャナには片腕と両足を蟲に食われたという過去があることが明らかになります。甲冑を外したら実は空洞になってた、というあのシーンです。その後、感情的に「腐海を焼き、蟲を殺し、人間の世界を取り戻すに何をためらう!」と言ってのけるところ、じつは大義名分よりも蟲に対する私怨で巨神兵の復活を進めているようにも見えますね。


一方のナウシカ。物語の軸である「青き衣を纏いて金色の野に降り立つ」伝説の人として、清廉で慈悲深い正義のヒロインとして描かれていますが、同時に深い闇の部分があることも明らかになります。

それはトルメキア軍が風の谷を侵攻し、ナウシカの父であるジルを殺害するシーン。怒りに我を忘れたナウシカは、トルメキアの軽装兵をフルボッコ…というかオーバーキルですね。ハンマーでぶっ殺しちゃう。それまでの優しく清らかなイメージを覆す、凶暴性と戦闘能力を発揮します。

その後、城の地下にある秘密の部屋でユパと会話するシーン。ナウシカが腐海の植物の研究を始めたのは、「父やみんなの病気を治したくて」という目的があったことが明らかになりますが、その後の台詞は「でも…憎しみにかられて何をするかわからない」と続きます。

「腐海の植物はきれいな土と水であれば毒を出さない」という、物語の根幹となる事実が明らかにされる場面だからこそ、ナウシカが自身の闇を告白をするのはここしかないんですよね。


クシャナが人間にとって正義ともいえる、腐海の消滅と新たな人間社会を築こうという大義名分を掲げていながら、実は私怨によって突き動かされているという事実。仮に巨神兵が完全な状態で復活し、腐海の消滅と人間社会の復活が成就したならば、それは巨神兵という新たな戦いの火種(核兵器のメタファー)を手中に収めたのも同然で、また新たな「火の七日間」の悲劇を繰り返すことにもなりうる。

ナウシカが父や谷の人を救うために生きることを誓っていながら、それを阻害する敵に対しては手段を選ばず排除することもある、という事実。映画版では後半に行くに連れて、その凶暴性は影を潜めますが(とはいえ、王蟲の幼生を運んでいた飛行ガメの乗組員を機関銃で脅すシーンがあったり)、もしふたたび風の谷をおびやかす存在が現れたら、「谷を守るため」に徹底的に戦うかもしれないわけです。コミック版ではある登場人物がナウシカを「お前は破壊と慈悲の混沌だ」と評する場面があるくらいですから。

 

「クシャナ=悪、ナウシカ=善」と捉えてしまいがちですが、じつはどちらも清濁併せ持った、じつに「人間らしい」単純に割り切れない人物なんですね。


腐海にしてもそうで、人間に害を与える存在として描かれていますが、実は汚染された土壌を浄化していたという事実が明らかになると、腐海も、腐海のメカニズムを守っていた王蟲も、単純に人間の敵とは言えなくなる。


『風の谷のナウシカ』とは、そんな「光と闇を併せ持っているのが世界であり、人間であり、清濁あることを認め合いながら、カオスの中で生きていかなければならない」ということをテーマにしていると、僕は考えます。そのテーマは、後の『もののけ姫』、さらには『風たちぬ』にも貫かれていますよね。

冷戦の時代も、冷戦が終わった現在も、「だれが正義でだれが悪か」はわからないし、勧善懲悪もない。それでも人間は、この混沌の世を生きていかなければならない。連載開始から映画版の上映を経て、完結に十二年を要したコミック版『風の谷のナウシカ』のラストはこの言葉で締められています。

「さあみんな、出発しましょう。どんなに苦しくとも。生きねば……」

 

というわけで、まとめ

公開から33年が経っても今なお考察のしがいがある『風の谷のナウシカ』。

昨年は「ナウシカ」の原画にも携わった庵野秀明監督の『シン・ゴジラ』が公開されましたね。それを踏まえたうえで改めて「ナウシカ」を観てみると、また新たな発見や、意外な共通点が見えてきそうです。

先ほど書いたように、次の記事では「巨神兵とゴジラ」をテーマに、さらに『風の谷のナウシカ』を深掘りしてみたいと思います。

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